あの時父が伝えたかったこと
- masako shirakura
- 2024年10月12日
- 読了時間: 9分
更新日:2月9日

あなたは、今きっと暗闇にいる気分では?
目の前にあった当たり前の日常も、信じていたものも、期待していた幸せな未来も、
消えて無くなってしまった。
今は、明るい未来や楽しみなんて想像できないでいるのかもしれない。
そんなあなたに、どうか少しだけ聞いて欲しいことがあります。
私にもそんな出来事がありました。
そして、残念ながら何度も何度も襲いかかってくるものです。
だけど、私はある人のある言葉がきっかけでいつも立ち直ることが出来ています。
私は高校1年の終わりに家出をしました。
その頃の私にとっては何もかも限界だったんです。
私の家庭は父が厳格な人で、
私は幼い頃から父とまともに会話をしたことがありませんでした。
と、言うより話せなかったんです。
怖くて。
母は厳格な父に合わせるのに必死。我慢しているようにしか見えませんでした。
家庭では唯一3つ年下の弟とは仲は良かったものの、家庭で自分をさらけ出すことはできませんでした。
否定をされるだけなので。
自分のやりたい事や思っている事を出してはいけない家庭環境でした。
学校は、私立の女子高に通っていました。
本当はアルバイトをしたかったので県立の高校に行きたかったけど、
父に反対されて言うことを聞くしか道はありませんでした。
そんな高校生活も最初はなんとなく楽しくすごしていたけど、仲良くなった友達は厳しすぎる校則に耐え切れず退学。
その後、なんとなくいつも一緒にいる友達。
怖い先輩達。
厳しい先生。
古い校舎に、好きになれないセーラー服。
その時点で耐えるだけの高校生活確定でした。
だけど、中学生からの小さな夢だった高校生になったらバイトをする!
という想いがあきらめられず、校則を破ってコンビニでアルバイトを始めたのです。
そして、バイト先の他校の子達だけが私の居場所を作ってくれました。
ルール違反は断固として許さなかった父が、なぜかアルバイトをすることは見て見ぬふりをしていました。
決して貧しい家庭ではなく、寧ろ裕福な家庭だったはずですがおこづかいは一度ももらったことがなかったのでアルバイトで稼げることがとても楽しかったです。
お給料が入ったら今度はあの服を買おう!
とか、東京に行って好きなバンドのLIVEに行こう!とか。
夢も希望もそこにだけはあったのです。
それが、、、
高校1年の夏休み明け、下校しようと帰り支度をしていた私に突然担任の先生から
「白倉さん、ちょっと職員室まできてもらえる?」と引き止められたのです。
行ってみると先生が何か手紙のような物を私に見せて
「ここに書いてあることは本当なの?」と。
その手紙には、
”白倉さんは○○町にあるコンビニでアルバイトをしています。校則違反です”
と書かれていました。
先生は「誰の字か、白倉さんはわかるの?」と聞いてきたので
私は「わかりません。でもアルバイトはしています」と答えると、
「仕方がないけどアルバイトは辞めてもらうしかないよ、来週から1ヶ月間は職員室の朝掃除をしてもらうようになると思うからそのつもりでいなさい」と告げられました。
私は、ショックで帰りの電車でひとり泣きながら帰りました。
実は、誰が書いた手紙かは字を見てすぐにわかりました。
それは、いつも学校で一緒にいる友達の字でした。
しばらくそのことは誰にも言わず、
職員室の朝掃除の罰則を受けることに。
アルバイト先には校則違反のことを正直に告げ、辞めました。
そこから、
何も楽しみのない日常が続きました。
私がアルバイトをしていることを学校に告げ口した友達は、私が気が付いていることを知らずかわざとか分からないけど普段通り接してきていました。
「まこ、バイトは最近行かないの?」
「職員室の朝掃除はなんでしてるの?」
などと白々しく聞いてきたりして。
そんな友達の態度に腹が立ったりしたけれど、自分の心は誤魔化せないもので
正直な気持ちでは心の底から親友と思って付き合っていたわけではなかったのは事実です。
そんな私の気持ちがその子にも伝わっていたのかも、、、と思い、
お互い様なんだと解釈していました。
毎日が辛くて、楽しみも希望も持てず、唯一の居場所だったアルバイトも辞め、
私の思考は次第に
(学校を辞めて仕事をしたい)
(自分の居場所をみつけたい)
そんな想いに支配されていきました。
そして遂に家出をするのです。
自分の部屋に置手紙を残しました。
「学校を辞めさせてくれるまで家には帰りません」
そう綴ってアルバイトで仲の良かった友達の家に行きました。
さすがに友達の両親も心配してあっさりと私の母が迎えに来ることになってしまいましたが笑
母は、家に帰る前に少し話そうと言ってカフェに寄ることに。
私は自分の気持ちを話しました。
母は否定も肯定もせずただ「うんうん」と頷いて聞いていました。
そして、父の待つ家に帰ることに。
きっと父はカンカンに怒っているのだろうと、こっぴどく叱られるのを覚悟して家に帰りました。
恐る恐るリビングのドアを開けて入ると、意外に穏やかな表情をして座っている父の姿が。
父「おう、帰ってきたか、ま、とりあえず座りなさい」
私「・・・」ソファーに座りました。
父「さっきな、お前の学校を退学した友達が心配して電話をしてきたぞ」
私「・・・」
父「いい友達がいるじゃないか」
私はうつむいて泣き出してしまいました。
その友達は唯一学校で仲の良かった友達でした。
家出をする前にその友達に相談をしていました。
その友達は退学してしまったのでもう学校にはいません。
ただ泣いて何も話さない私に父は突然突拍子のないことを言い出したのです。
父「おかあさん、部屋の照明を消してくれ」
母は、え?という表情をして戸惑いながらも父に言われた通り部屋の照明をパチッと消しました。
部屋は真っ暗になり、当然何も見えなくなってしまいました。
父「まこ、この状態でお父さんにお茶を入れて来てくれないか?」
私「え?電気を付けないで?」
父「そうだ」
私「・・・」
私は、父は頭がおかしい!何?なんなの?怖いんだけど!そんなことを思いながらも逆らえないので手探りでキッチンへ行きました。
テーブルに足をぶつけ、壁にぶつかりなんとかキッチンに行き、まず湯呑み茶碗を真っ暗な中手探りで探しました。
次はお茶っ葉を感覚だけを頼りに見つけ出しましたが上手くお茶っ葉が急須に入らずこぼしてしまいました。
そして、ポットのお湯を急須に注ごうとしたら今度は自分の手に熱湯がかかってしまい思わず「熱っ!」と声をあげ、
悔しいやら怖いやら悲しいやらの感情がこみ上げてきて涙が溢れ、その場にしゃがみ込み泣き崩れてしまいました。
母が「大丈夫?」と心配そうにキッチンに来ようとしてましたが母も真っ暗な部屋の中、
すぐにキッチンには駈け寄れません。
そんな様子をただ黙って伺っていた父が話し出しました。
父「お茶はいいからとりあえずここに来て座りなさい」
私は泣きながら手探りでリビングに戻りソファーに座りました。
父「ま、このまま10分過ぎるのを待っててみろ」
私たちは黙ってそのまま時間が過ぎるのを待ちました。
火傷をした手がヒリヒリと痛み早く冷やしたいと思いながらもひたすら時間が過ぎるのを待ちました。
そして何分過ぎたのかはハッキリ覚えていませんが、
父がようやく話し出しました。
父「まこ、もう一度お父さんにお茶を入れてきてくれないか?」
私「なんでそんなことするの?暗いんだから無理でしょ!火傷はするし足はぶつけて痛いし!」
父「そうか?部屋の周りをよく見てみろ、今ならお茶くらい入れて持って来れないか?」
私は部屋を見渡してみました。
すると、さっきまで何も見えなかったはずの真っ暗な部屋だったのに、
テーブルがどこにあってテーブルの上に乗せられたミカンは何個あって、
テレビがどこにありリモコンがどこにあって、心配そうな母の表情すらも見えるようになっていました。
私は(今ならお茶くらい入れられる!)
そう思いキッチンへ行きお茶を入れることが出来ました。
そのお茶を父に差し出すと父は笑顔でこんなことを教えてくれました。
父「まこ、さっきの真っ暗な部屋は今のお前がおかれた状態と似てないか?今まで見えていたことや物がいきなり見えなくなって、今まで当たり前に出来ていたいたことが上手く出来なくなった。そんな状態なんじゃないか?」
私「・・・うん」
父「そんな状態の時に動き出した結果はどうなった?解決したか?前が見えずに壁にぶつかって、テーブルに足をぶつけて、最後には手を火傷したな」
私「うん・・・」
父「だけど、じっと時間を待っていたら目が慣れて少しずつどこに何があるのか見えてこうしてお父さんにお茶を入れてこれたよな」
私「・・・うん!」
父「生きているとな何度もこんなことがあるんだよ。その度にテーブルにぶつかって火傷をしていたんじゃその痛みを治す作業に追われて自分は一体何をしていたんだ?って思う人生になってしまうんだ。
お父さんが今のお前に伝えたいことは、見えてくるまで感情で物事を判断して決断するなってことだ。
必ず前が見えてくるから、冷静な自分になって見えてきたら動き出せ。それが一番の明るい未来への早道なんだ」
正直、私はこの時父の言っている事に理解が出来ずにいました。
だけど、仕方なく嫌々学校に通い続けけることにしました。
夢も希望も楽しみもない学校生活。
この場所から逃げたい!
そんなことを思いながらの日々。
しかし、1ヶ月が過ぎる頃、
気が付くと周りには以前とは違う友達が集まり、以前とは違った興味が湧いている自分が存在していて、学校なかなかおもしろいじゃん!なんて思っている自分に気が付いたんです。
それからはいつも周りにいてくれる友達と、何か楽しい企画をしたり実際にそれを行動に起こしたりと、
何かを形にすることに没頭しました。
それから、高校を卒業して東京に出て原宿のアパレル会社にアルバイトから正社員になり、21歳で店長になりました。
まだ若くて未熟だった私に課せられた店長としての最初の壁は、
売上とスタッフ管理でした。
思うように売上を伸ばすことが出来ず、
スタッフのモチベーションを上げることの難しさに悩む日々。
厳しくするあまり、
頼りにしていたスタッフも辞めてゆき、
また苦悩の日々がやってきました。
その時、思い出したのはあの家出をした時に父から教えてもらった言葉でした。
また目の前が真っ暗になってもあの時逃げなかった自分がいたこと。
これは、自分がどんどん成長できるチャンスがまた与えられているんだと
思えるようになりました。
自分に自信を持つこと、
それをあの時父から教わり、今は自分の息子たちに教えています。
今目の前が真っ暗なあなたでも大丈夫です。
必ずあなたの経験がこれからの自分の人生と、誰かの役にたつときがきます。
読んで頂きありがとうございました。
#シングルマザー#起業#母子家庭#苦しい#モチベーション#コンサルタント#家出